原詩は
こちら<私訳>
「地名のない街で」
走れ、走れ、隠れろ、隠れろ
壁なんかぶち壊せ
俺を閉じ込めやがって
手を突き出し
燃え盛る聖霊に触れてやる
地名のない街で
太陽よ、俺の顔を焼け
空を覆う塵灰よ
跡形もなく消え失せろ
姿を隠せ
穢れた雨から
地名のない街へ
言葉で汚されていない世界へ
方位も持たずに歩ける世界へ
俺たちは塔を建てては焼き払う
その繰り返し
だが、あそこへ行けば
お前と一緒でなければ行けない
お前とあそこへ行くしかない
都市は洪水、俺たちの想いも腐っちまう
打ちのめされ、吹き晒され
瓦礫につまずき倒れながら
目を上げろ
砂丘の天辺に見えるだろう
地名のない街が
余分の、仮の、偶然のものが消えて
物そのもののようになった本来の世界が
俺たちは自分で建てた塔を焼き払う
その繰り返し
だが、あそこへ行くぞ
お前と一緒でなければ行けない
お前とあそこへ行くしかない
<蛇足的補足>
Streetsの訳でいちばん難しいのはずばり「Where the streets have no name」の訳し方。
「その場所」は聴く人それぞれに思い入れがあると思うが、あくまでも「私」訳で、ずうずうしいですね・・・
同じ言葉を繰り返すのはつまらないので、このようにしたが、
以前ブログで書いたことを読んでいただくとわかりますが、一番は池澤夏樹、二番は日野啓三へのオマージュになっている。ブログに書いたように、当時すでに還暦を過ぎていた日野が池澤にヨシュア・トゥリーのことを「今は2500円でこんなすごいものが手に入るのだね」と言ったという話を記念してのこと。
もう一つ。
今回発売されたJoshua Tree記念盤に入っているブックレットにこの曲の手書きの歌詞が載っている。よく見ると実際に歌われているのと少し違う部分がある。
And touch the flame → (手書き)Holy spirit, spirit like a flame
High on a desert plain → (手書き)An oasis on a desert plain
これによって、ボノが「手を伸ばして触れたい」と言った焔とは「聖霊」であること、砂丘の上にあるのが「オアシス」であることが明確になる。
もちろん、聴く人の自由な想像に任せるためにあえて明確にしなかったのだろうが。
同じエチオピアの風景を歌ったという点でこの曲と対になる「悲しみの波」で、ボノは「失われた王国」や「天使の調べ」のことを歌っている。Streetsは希望、Waveは絶望、と正反対に捉えられがちだが、実はボノがエチオピアに見出したイメージというのは共通していると思う。
通りに名前のない場所=エチオピアは、本来、神から人間が受け継いだ王国、聖なる土地であり、あらゆる精神の源、インスピレーションが湧き出る泉=オアシスなのだ。ところが我々はその聖なる焔を消し、略奪や破壊を繰り返してきた。それは彼らにとってだけでなく、我々の人間としての尊厳の危機でもある。
前述の手書き歌詞。
I go there with you → (手書き)It’s got to be with you
It's all I can do → (手書き)It’s all we have to do
と、微妙に違っている箇所もある。
「そこへ行くときは君(たち)も連れて行くよ」「それが俺にできる全てのこと」というより、「君(たち)と一緒でなければいけない」「俺たちがしなければいけないのはそれだけ」という切羽詰った感じ。ありあわせの紙に走り書きしたときの高揚した気分は、そんなだったのだろう。エレベ・ツアーでハート型のステージを走って一周するボノにも、この歌詞の方が似合っていると思う。